About Pineapple


Have you heard of Pineapple



日本国内でパイナップルを生産しているのは
沖縄県だけです
名護パイナップルワイナリーでは
沖縄県産パイナップルを使い自社にてワインを醸造しております
パイナップルで出来た
芳醇なワインを是非ご賞味ください

国内に流通しているパイナップルの
ほとんどが海外産なのです

沖縄県産パイナップル使用
日本国内で流通しているパイナップル
割合を見てみると、国産パイナップルは4%海外産のパイナップルが96%と海外産が多く流通している中、弊社では市場に少量しかない希少価値の高い国産パイナップルを使用した県産ワインを製造しております。
沖縄県産パイナップル
%
希少価値が高い
海外産パイナップル

%


県内農家が丹精込めて
栽培したパイナップル



東村パイナップル畑1
東村パイナップル畑2
東村パイナップル畑3
東村パイナップル畑4
弊社で使用しているパイナップルは沖縄県の北部地域”ヤンバル”エリアで栽培されており、毎年7月から10月にかけて収穫されます。
1969年の最盛期には年間約10万トンの生産量がありました。
その後2014年には、約7% 7,130トンの生産量まで減少してしまいました。パイナップルの収穫には、苗の植付けから約1年半~2年の歳月が必要となります。
さらに1本の苗から収穫できるのは、たった1玉だけです。初収穫後からは1年に1玉収穫出来ますが苗は3~4年で植え替える事になるため、この間に収穫できる個数も2~3玉と非常に少ないことが分かるかと思います。このような背景から、農家の皆様が丹精込めて栽培された沖縄県産パイナップルは大変希少な果実と言えると思います。

沖縄県産パイナップル収穫数の推移
1973
85,100t
1977
37,100t
1990
31,600t
2000
11,200t
2010
8,780t
2014
7,130t
農林水産省統計資料より抜粋

県産パイナップルの歴史



  • パイナップルの歴史
  • 沖縄に入った時期
  • 沖縄パイナップル産業の帰還
パイナップルは、新大陸で発見された当時(1492年)すでに中部アメリカ、西インド諸島に伝わっていました。 そして、新大陸発見後、広く世界へと紹介されました。16世紀には、アフリカ・インド・南洋諸島の各地に分布。17世紀には、ヨーロッパ貴族の温室で品種育成も試みられ、18世紀には、南北緯度30度以内の熱帯・亜熱帯地域で広く栽培されるようになりました。輸送や貯蔵に弱いパイナップルは、その後世界への伝播が遅れます。 現在、世界の主要栽培品種のスムースカイエン種は、1819年フランス領ギアナから、フランス本国へ渡り、それからイギリスへ。 アメリカはフロリダへ、そしてハワイへ、ハワイではジョン・キッドウェルがパイナップル缶詰工場を1892年に設立。 一躍大産業の素地が作られます。 缶詰用原料として認知されたスムースカイエン種は、1923年には台湾、ここ沖縄には1927年に伝わりました。
14世紀から16世紀、琉球王国は大交易時代。地の利を生かし、西の明(中国)、東南アジアのルソン(フィリピン)、シャム(タイ)、マラッカ(マレーシア)との貿易が盛んに行なわれていました。 その頃伝わった代表的な物が泡盛です。 ただ、パイナップルは比較的遅く、1866年石垣島沖で座礁したオランダ船から、川平湾に漂着したパイナップルの苗が、沖縄に伝来した最初とされています。 沖縄本島では1888年に小笠原から輸入されたものが国頭郡に広がり、1927年には、現在の主力栽培品種である、スムースカイエン種が本部町伊豆味に導入されました。 石垣島では1930年に台湾からパイナップルの苗が運び込まれ、1935年には林発氏等を中心に、台湾から栽培農家53農家が移住して、本格的なパイナップルの生産が始まりました。
1927年本部町伊豆味でスムースカイエン種が導入栽培され、石垣では1935年台湾からの入植者により栽培が始まりました。 1938年には石垣市に缶詰工場も建設され、県外移出が始まりました。しかし、第二次世界大戦で壊滅的な打撃を受けます。 戦後、石垣島では1946年から、沖縄本島では1952年から栽培が再開されます。その後パイナップル生産は急増し、1960年には、サトウキビと並ぶ二大基幹作物として、沖縄の経済を支えるまでにパイナップル産業は成長します。 1970年代に入り、オイルショック、冷凍パイナップル輸入自由化、経済不況の影響を受け、最盛期1969年(年間10万t)の6割程度までに落ち込みます。 その後もパイナップル産業は、パイナップル缶詰の需要低迷・安価な外国産パイナップル缶詰の価格攻勢等の影響を受け、ついに1990年には沖縄のパイナップル生産の需要の大半を占め、パイナップル缶詰の輸入が自由化されます。ウルグアイラウンドによる、このパイナップル缶詰自由化により、沖縄のパイナップル産業は大きな打撃を受けます。


自社醸造



自社工場
沖縄県の地酒を目指して!

今までにないパイナップルの新しい楽しみ方を考えていました。『沖縄県産のパイナップルでワインを造ってみたい!』と、1992年、日本初のパイナップルのワイナリーが誕生しました。沖縄県の地酒はいろいろありますが、地元で原料から栽培して造っているお酒はほとんどありません。パイナップルワインはワイナリーの地元で栽培されたパイナップルを原料としています。創立1992年と歴史は浅いですが、沖縄県の地酒となれるように造り続けていきたいと思います。

自社工場2
ZERO EMISSION
パイナップルからの廃棄物をゼロに

ワイナリーでは、契約栽培されたパイナップルを加工してさまざまな製品を造っています。
通常では、加工時に果皮や果芯は取り除かれて廃棄されます。
これはパイナップルの一般的な食べ方からも推察できると思います。
ゼロ・エミッションとは(Wikipedia)



しかし、ワイナリーでは果芯を原料として漬物やお菓子を作ったり、果皮からも果汁を搾汁してパイナップル酢を醸造したりしています。最終的に発生する搾り粕もゼロ・エミッションに基づき、沖縄県名護市内の畜産農家と連携し、牛の飼料として有効活用しています。パイナップルの果皮は成分的にも飼料として有効な物であり、牛も好んで食べています。また、パイナップル栽培において発生した規格外の果実からも炭を作り、石鹸や化粧品などに有効活用しています。